【無料ノベル】アジサイとラベンダー~前編~

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公園のベンチに座り、手を絡め合って、私は彼の横顔を眺めていた。
私の愛した男はこの人だけだ。
これまで何度も人を好きになったし、ときめいたこともあった。
でも私が本当に愛した人はこの人だけだと思った。
彼はニヒルな眼差しで私を見た。悪戯っぽく笑いながら。私も笑った。
笑いながら、視界がにじんだ。

10年前、一人の男と出会った。
私の詩が好きだと言ってくれた。
当時私は、美大で油絵を専攻していた。大学へはほぼ毎日通い、絵を描いていた。
油絵の具のにおいは妙に私を落ち着け、高揚させた。
色はなるべくパレットの上で混ぜて作るようにしていた。

一筆、一筆、色を置いていく。
輪郭を背景とブレンドする時、乾いたセーブルの短い絵筆で、輪郭を軽く掃くようにブレンドすると、自然なグラデーションになる。
筆跡を見せたいところは、豚毛を使って勢いよく筆を動かした。

詩を書くのは、絵を書くのと似ている。
言葉を使って、絵を描くことが詩を書くこと。

「あなたの詩は絵画のようですね」
と彼は言った。不意を突かれたような、最高の褒め言葉だった。

梅雨の時期は、傘の下に隠れて、一緒に歩いた。
彼が片手で傘を持ち、片方の腕を私の肩に回した。そうしながらアジサイを見て歩いた。
アジサイのつぼみが膨らんで、開花していくまで、私たちは安心して傘に隠れて歩くことができた。
雨の音で話し声が漏れることもなく、どんな甘い言葉も言えたし、素直になれた。
秋になる頃にはアジサイの色は、ブラウンが入り込んで深みを増していった。

時が経つにつれて、私たちは大胆になり、行きたいところへ一緒に行くようになった。
私は最初から、彼の日常生活と、自分の日常生活を切り離して考えていた。
繋ぎ合わせてはいけないし、ブレンドするなんて、あってはならないことだと思った。
そう思うことで、納得し、諦めがついた。それでも一緒にいたかった。
恋愛の行き着く先が結婚の場合もあるだろう。
でも私たちに関しては、それはないものだと、初めからそう決めていた。
私はけして物分かりの良い、大人の女性だったわけではない。
私と一緒になることで多くのものを失い、時間が経って後
(俺の人生はこんなはずじゃなかった・・・)
と、彼が後悔する日が来るかもしれないと思うと、死ぬほど恐かった。
その時、私はどうやって生きていけばいいのだろう。
過去は取り戻せないのだから・・・。

出会ったばかりの頃、彼は一人暮らしをしていた。
一人暮らしをするようになって数年経つと言っていた。
付き合って二年間は、彼のマンションに行ったことはなかった。
いろいろ思い巡らすことはあった。朝は新聞を読みながら、コーヒーを飲むのだろう。
一人暮らしなら、コンビニで朝ご飯を買うのかもしれない。
ご飯党だろうか。トーストを食べる彼はどうしても浮かばないから、多分そうだろう。
朝の光はどの窓から差し込むのだろう。もちろん太陽は東から昇るけれども、
彼のマンションを見たことがないのだからわからない。
私は、近くを通りかかっても、けして彼のマンションを見に行かなかった。
頑なに見に行かなかった。その前を通りそうな時は、わざと避けて遠回りした。

「一緒に暮さないか。隠れて会ったり、人目を気にしたり、そんなこと必要ないんだよ。
ぼくは君の意思を尊重して、抑えてきたけれど、そんなことに意味はないと思うんだ。
いいじゃないか。二人がいいと思えば、それでいいんだよ。君は何も心配しなくていいから。
明日にでも引っ越しておいでよ」